| 第6章 リスク評価と適用例 岩盤崩壊が問題となる土木構造物は紛れもなく社会のインフラストラクチャーの一部であり,現代人の生活に必要不可欠なものである場合が多い.阪神淡路大震災の例をあげるまでもなく,これらが自然災害や人災により破壊されたときの各方面への影響は甚大である. しかしながら一方で,国家や企業が厳しい財政運営を迫られる昨今の経済環境においては,これら土木構造物の維持管理コスト削減に対する社会的ニーズもかつてないほど高まっている.このような多面的問題に対処するため,技術とファイナンスの統合手法であるリスクマネジメントは必要不可欠である. 例えば,対象とする岩盤斜面に関して,様々な規模の集中豪雨や地震などの危険要因の発生確率と,それらがもたらす斜面崩壊による損失額とが推定されるとき,横軸に予想損失額,縦軸に,一年間にその予想損失額以上の損失が起きる確率である年超過確率をとったリスクカーブを作成することにより,対象とする岩盤斜面の年間平均損失額が推定される. また,このリスクカーブの形状から,当該岩盤斜面の抱えるリスク構造は,確率は小さいが大きな損失をもたらすものであるのか,さほどの損失はもたらさないが,発生確率が高いものなのかを把握することができる. このようなリスクの定量的な評価に基づき社会的なコンセンサスが得られる合理的な対応策を講じる,つまり,適切なリスクマネジメントを行うことにより,社会資本への対費用効果を最大化することが期待される. |
| 6.1 リスクの定義 リスク(risk)という言葉は定義が曖昧な言葉である.その曖昧さを許容するためにあえて訳語を当てずリスクと呼称されるケースも多い.ちなみにロングマン現代英英辞典では;
となっている.つまり,
で,その同義語はdangerである.一方で,今日はやりのフィナンシャルエンジニアリングの世界でリスクといえば,もっぱらボラティリティ(volatility)のことを示す.これは予想価格などの,ある時点における予想分布を正規分布と仮定したときの分散の大きさ,つまり,不確実性の度合いに他ならない.また,フランク・ナイト1)は,「測定可能な不確実性(uncertainty),あるいは<リスク>そのものは,測定不能な不確実性とは全く異なっており,実際には少しも不確実ではない」と,定量化できない未知の不確実性とリスクとを明確に区別している.つまり,リスクマネジメントという言葉で表されるように,リスクは管理できるものということである.時間をt,トレンドをμ,標準正規分布に従う乱数をeとすると,時系列的に幾何ブラウン運動をする価格Pの動きは, dP=μPdt + sPdz ここで dz=e(dt)^0.5 という式で表される.この式のなかのsがボラティリティーである. |
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| 図6.1.1 平均値が等しく分散が異なる二つの正規分布 |
| 図6.1.1には2種類の正規分布が示してある.これを例えば,ある時点における予想価格の確率密度分布と考えると,破線の分布の方が明らかに分散が大きく,平均値から乖離する確率が高い.金融の世界ではこれをリスクが大きいという.一方,リスクを危険度と捉える一般的な感覚では,例えば問題となる部分の強度が図6.1.1ような予想分布を示す場合に,その値がある限界値Aを下回り,破壊などの不具合が生じるであろう確率の大きさをリスクと称する. この場合にも,正規分布で平均値が同じであれば,分布の分散が大きい破線の場合の方がリスクも大きくなる.しかし,図6.1.2に示す場合のように,二つの分布の平均値が異なる場合はどうであろうか. |
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| 図6.1.2 分散が等しく平均値が異なる二つの正規分布 |
| 例えば強度の平均値がS1からS2へ増大すると,強度が限界値Aを下回る確率は明らかに減少する.つまり,一般的な感覚でのリスクは小さくなる.しかしこの場合,分布の分散は変わらないので,ボラティリティーは変わらないことになる. |
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| 図 6.1.3 正規分布以外の確率密度分布 |
| また,確率密度分布が正規分布から図6.1.3の点線で示すようなものに変化すると,強度が限界値Aを下回る確率もやはり変化する. 以上のことからもわかるとおり,ボラティリティーで定義されるリスクを低減するには分散を小さくするしかないが,一般的な感覚におけるリスクは,分散はもちろん,平均値や確率密度分布の形状を動かすことによっても制御することができる. 土木の世界におけるリスクに関連するキーワードとして,ハザード,クライシス,コストなどが挙げられるが,あえてこれらの関係を明確にすると,リスクとはハザードによりクライシスが発生しコストがかかる危険性,ということになる. |
| 6.2 リスクの評価方法 6.2.1 リスク評価 |
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| 図6.2.1 岩盤崩壊のリスク評価手順 |
| 岩盤崩壊に対して前項で示したリスクについての評価を行うことにより,これまでの考え方よりも危険度を定量的に扱える可能性がある.図6.2.1に示す評価手順に沿えば,「リスク分析」,「リスクアセスメント」,「リスクマネジメント」を実施することになる. 「リスク分析」では定量的,定性的方法を用いてハザードの発生確率を推定する.このリスク分析結果を用いて次の「リスクアセスメント」では,損害の程度の評価を行う.さらに,「リスクマネジメント」のステップでは,それの評価結果に基づきどのような対策が合理的であるかという判断を行う事となる. 岩盤崩壊の評価を実施する際には,表6.2.12),3)「斜面安定解析における不確定要因」に示す不確定要因が必ず存在する.そこでこの不確実性を何らかの形で取り込む必要があり,この不確実性を考慮した考え方として,松尾ら3)は決定論的方法と確率論的方法の2つに大別している.決定論的に岩盤崩壊を評価する方法は,平均値等の統計的代表値を用い,安全率の大きさで検討するのに対し,確率論的に岩盤崩壊確率を求める方法は,個々の地盤の物性値(パラメーター)を確率変数として扱い,計算結果を統計的に評価するものである.「リスク分析」においては,この確率論的方法を利用している. |
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| このリスク分析を行う上で必要な項目は,「分析対象の設定」,「ハザードの特定」,「ハザードの発生確率の推定」であり,この発生確率を推定する手法には経験的に求める手法(定性的方法)と不確実性を考慮に入れた安定性解析による方法(定量的方法)とが考えられる4).経験的にある指標が岩盤崩壊に影響を与えるという信頼性が高い場合は,崩壊の危険性の評価に使用できる.この手法は物理探査等から得られる岩盤崩壊に与える複数の指標を基にカテゴリーを設定し,崩壊確率を推定するものであるが,適用サイト毎に決定する必要があり,主観的になる可能性がある.一方,崩壊事象をモデル化し,安定性を評価するための解析を実施することにより,客観的に崩壊の発生確率を推定することができる. 一例として,オーストラリアにおける「地すべりのリスクマネジメントの考え方と指針5)」(「Australian Geomechanics Society」ホームページへ)には,地すべりの発生頻度の評価方法として
等が挙げられている.この例では@〜Dが経験的方法であり,Eが解析的方法に対応する. |
| 6.2.2 パラメーターの確率分布 「リスク分析」においては,確率論的方法を利用しているため,崩壊確率を決定するパラメーターの確率分布を把握することが重要になる.崩壊確率を決定するためのパラメーターとしては大きく分けて外的誘因と自然条件による素因が考えられる.外的誘因は降雨,地震,凍結・融解といった現象であり,自然条件とは斜面の形状,亀裂情報(方向,間隔,長さ),摩擦角といった物性値がある.外的誘因の確率分布を求めるのは困難であるが,松尾ら6)には降雨から崩壊確率を求める例を示している.自然条件の素因の確率分布の評価についてはHoek7)や伊藤8),9),10)が示している.一軸圧縮強度,三軸圧縮強度,粘着力や摩擦角,テンションクラックの深度などは正規分布で表現され,テンションクラック中の地下水位や水平震度,ジョイントの連続性などは指数分布で表現される. |
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| 図6.2.2 単位体積重量のばらつき10) | 図6.2.3 P波,S波速度のばらつき10) |
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| 図6.2.4 一軸圧縮強度のばらつき10) | 図6.2.5 三軸圧縮強度,変形特性 E50のばらつき10) |
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| 図6.2.6 変形特性のばらつき10) |
| 6.3 評価事例 ここではさまざまなリスク評価事例を,定性的リスク評価と定量的リスク評価に分類して紹介する.定量的リスク評価については,リスク分析まで実施している事例とリスクマネジメントまで実施している事例に分けて整理する. 6.3.1 定性的リスク評価 リスクの評価事例(文献番号A-1): Rock Slope Risk Assessment Pittsburgh Airport Busway ピッツバーグ空港バス路線に対する岩盤斜面リスク評価 岩盤斜面沿いのバス路線計画で用いた定性的,定量的リスク評価手法の事例 J.V. Hamel, G.M. Elliott, J.D. Lasko and C.A. Ruppen: Environmental Management, pp.971-979 リスクの評価事例(文献番号A-2): Slope Movement Hazard Evaluation along a Portion of U.S Highway95,Idaho Country,Idaho アイダホ州,アイダホ郡の合衆国道路95号線の一部に沿っての斜面変動危険評価 合衆国の道路で行われた斜面危険度判定の事例 斜面の危険度を地質や斜面勾配などから相対的に評価する手法の事例 D.R. Jones and T.R. Howard リスクの評価事例(文献番号A-3): A two Stage system for Highway Rock Slope Risk Assessment 道路の岩盤斜面リスク評価に対する二段階のシステム 定性的リスク評価と評点を使用したリスク評価を二段階で実施し,対策工の 緊急度の優先付けを行う斜面保守管理手法の事例 P. McMillan & G. D. Matheson:International Journal of Rock Mechanics and Mining Science, Vol.34, No.3-4, paper No.196, 1997 6.3.2 定量的リスク評価(リスク分析まで) リスクの評価事例(文献番号B-1): Rock instability And Risk Analysis in Open Stope Mine Design オープンストープ採鉱法における岩盤の不安定性とリスク分析 オープンストープ採掘切羽に対し経済効果を考慮したリスク分析を行い, 期待利益が最大化される切羽設計の指針を示した事例 M.S. Diederichs and P.K. Kaiser: Canadian Geotechnical Journal, Vol.33, pp.431-439, 1996 リスクの評価事例(文献番号B-2): Assessment of the Hazard from Rock Fall on a Highway British Columbia 高速道路上での落石災害のアセスメント 高速道路99号の切り取り斜面に面する区間における 落石による車両支障および死亡事故の発生確率の算定事例 C.M. Bunce, D.M. Cruden and N.R. Morgnstern: Canadian Geotechnical Journal, Vol.34, pp.344-356, 1996 リスクの評価事例(文献番号B-3): Probabilistic Risk Analysis of Slope Stability 斜面安定性の確率理論的リスク解析 高速道路における節理の多い岩盤掘削斜面の安定性評価および 露天掘り石炭ロックフィル斜面の安定性評価に確率的手法による リスクアセスメントを適用した事例 A.P.Whittlestone,J.D.Johnson,M.E.Rogers and R.J.Pine: リスクの評価事例(文献番号B-4): A Slope Stability Problem in Hong Kong 香港における斜面安定問題 香港の切土斜面の安定性評価に適用したリスク分析に関する具体的事例 E. Hoek:http://www.rockeng.utronto.ca/roc/Hoek/Hoeknotes98.htm リスクの評価事例(文献番号B-5): Analysis of Rockfall Hazards 岩盤災害の解析 米国で用いられているRock Fall Hazard Rating Systemを用いた,リスク評価方法の事例 E. Hoek:http://www.rockeng.utronto.ca/roc/Hoek/Hoeknotes99.htm 6.3.3 定量的リスク評価(リスクマネジメントまで) リスクの評価事例(文献番号C-1): 道路斜面におけるリスク評価の試み 国土交通省の委員会における活動内容の紹介 |
| 6.4 課題 リスク評価を岩盤崩壊問題に対して適用することにより,崩壊対策の意志決定に際し定量的な判断を行うことが可能になる. しかし,実際には,岩石崩壊や斜面崩壊を対象としたリスク評価に関して,リスクを定量的に扱っている事例は少ない.これは,複雑で多様な発生メカニズムが考えられる岩石崩壊や斜面崩壊において,不確定量を確率・統計学的に表現しモデル化することや影響度を定量的に評価すること自体が容易でないことを示している.また,それ以外にも評価シナリオやリスク評価規準に関しても,十分な客観性を有し,社会的合意が得られることが望ましいが,現状では,これらの考え方についての十分な議論がなされているとはいえず,今後は,モデル化手法や影響度評価法,評価シナリオやリスク評価規準を包括した定量的なリスク評価手法の確立が望まれる.これは,単に土木工学における技術課題だけでなく,社会経済学的な課題を含んでいる. |
[参考文献]
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